技術書典で本出したり特定分野のカンファレンスで発表できるほど一つの分野/言語/etcに詳しくなるの全く出来なくて凄いなあって気持ちになってる
— はぜ (@haze_it_ac) 2018年11月10日
「エンジニアとしての市場価値を上げるために、今自分に足りていないこれを勉強しよう」っていうの、出来ないんですよね。
社内の誰にも負けない範囲の能力が一つ以上あると存在価値が上がるだろうし、
それこそ本を出したり発表をしたりできるようなレベルだったら会社をやめたとしても他の会社でも同待遇で雇われることができたりするだろうけど。
なんというか、組織の課題を解決する・目標を達成するために自分に足りていないものを習得するのはできるんだけど
自分の市場価値を上げるためにとか、エンジニアとして自分が強くなるために、みたいな発想にならない。
一応、技術者として仕事しているからあんまり言わないようにしているんだけど、
自分自身はあんまり好きな技術っていうのとか、好きな言語とかって特になくて、
課題を解決するための仕組み(=サービス)を作ったり、目的をどうやって楽に達成できるかを考えて、その時その時で必要な技術を習得してる。
最近はバックエンドエンジニアとして入社したけど、フロントエンドも見れた方がサービス・開発組織全体を俯瞰して見れそうっていうことでReactを触り始めていたり、
単純に機能開発で必要になるからRailsを触っていたり、社内のソースコードを読んだり、GraphQLがわからんって言ってる。
でもそこまで深い興味があるわけでもないから、rails/railsのソースを読もう!って気持ちには全くならないし、メンテナになりたい!とは思わない。
(オープンソースコミュニティへのコントリビュートは自分ができる範囲でやりたいとは思ってはいる。これは単純に自分のためというより、感謝の分を返したいという気持ちから)
なんでこんなこと書いてるかっていうと、
最近Microservicesやアーキテクチャ周りに興味が強くなっていて、なんでだろうなーって考えて、
プロダクト開発をする上で、変更に対する影響範囲を小さくして安心したものづくりをできるようにする、一つの機能の開発速度を上げるようにできる仕組みを確立することで、
最初の方に書いた目的の達成や課題解決に繋がるからなんだろう、ということな気がしたから。
Microservicesっていう技術や、各種アーキテクチャそのものに興味があるわけではなくて、それを使うことでどれぐらい開発が早くなるのか、改修が楽になるのかを知っていきたいっていう結論になった。
とは書いているんだけど、一個一個の技術に対して深く興味が沸いてないのって、深く技術を見れるほど精神的な余裕がないっていう現れなんじゃないかなあと感じたりしている
自分の思い出せる限り1年以上安心して過ごしている感はないし、常に危機感というか、現状に対する焦りがある、それを無くせば別の見え方ができるんじゃないかなーと思う
でもまあ、焦りの感覚が無くなったら自分何にもしなくなりそうだし、どうなんだろう。よくわかんないや。