はぜにっき

日記です。(毎日更新ではない)

自分の自己評価とそれに関連する立ち回りについて書く

Twitterとかブログとかでよく見る議題、自己評価について。
昔後輩に「自分に自信が持てない」とかで相談されたことも思い出したので、同じような人向けに、自分がよく話す内容を書いておきます。

前提

自己評価の中には、自己効力感とか自己肯定感とか諸々あるはずですが、自己効力感と自己肯定感の両方の話をします。
一応仕事の話をメインにしますが、プライベートでも同じようなことが言えると思います。

なお、ミッションクリティカル(ミスったら人が死ぬとか、自分が生きていけなくなるとか)な物事についてはこの話の対象外です。そういう物事には正しくビビって対応しましょう。

自己効力感の話

ja.wikipedia.org

自己効力感(じここうりょくかん)またはセルフ・エフィカシー(self-efficacy)とは、自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること

自己効力感の付け方・自分の評価の積み重ね

「俺はできる」と思えるかどうか ですが、過去の成功・失敗経験や学習の履歴、自分の性格などから決定されるはずです。
成功経験が全くないとか、今まで勉強を全然してこなかったとかなら話は別ですが、過去に頭を使って解決した経験はこの記事を読んでいる人ならあるのではないでしょうか。
もちろんやろうとしている物事の内容にもよりますが、自分が過去にできたこと・自分が学んできたことの延長線上にあるものであれば、やったらできるのではなかろうか、と思うようにしています。
(その時々の周辺環境は意識する必要があって、周りの人が助けてくれたとか、その時にしか起きなかったイベント(コロナとか)によって成功したとか、そういうのも踏まえてはいます)

これをやるためには、自分自身の今の能力を把握します。
仕事をしていると評価とか目標設定とかでやらざるを得ないはずなので意識せずとも、ある程度の評価はできているとは思いますが、スキルマップを作ってみるとか、学業・仕事の振り返りで出来たことや学んだことを洗い出してみるとか、そういうのを継続してやると解像度は少しずつ上がります。
それを積み重ねていくと、「これはできる」「これはやったことないけどこれまでの経験をつなげたらできそう」の枠が増えていって、自分のスキルセットが増えていく感覚ができ、自己効力感の出せる範囲が広がっていく。って感じ。

※ 補足として、可能な限り、相対評価(=周りの人と比べて...できる・できないを考える)よりも、絶対評価(=自分はXXができる、できない)にしたほうが良いです。周りに超人がいると何もできない気持ちになるので...

できるかできないか微妙な時は「たぶんできる」と言う

「これはやったことないけどできそう」を「たぶんできる」と言う、って話です。
「たぶんできる」は「わからんけどやってみる」とか「とりあえずやってみる」みたいな枠組みの中にある感覚で、約束はしないけどとりあえず手を付ける範囲にはある、みたいな感じ。
仕事で「できます!!」と言い切ると出来なかった時に怒られが発生しますが、たぶんできるであれば大丈夫なので、5割ぐらいは成功しそうなら「たぶんできる」と言って、成功するか失敗するかを試す。

失敗したら原因の分析をして、原因がなくなるように動けば良いので。

(おまけ)他人との相対評価について

周りの人と比べて悲しくなることはあまり意味がないのでやらないようにしています。
同僚と比べてどう、とかは会社の評価上はどうしても存在しますが、一個人として他人と比べることのメリットは少ないと考えています。
参考にしたほうが良い立ち回りはもちろん参考にすれば良いですが、「この人はこれができているのに...」とかは気にしても仕方ないです。その人のこれまでの人生と環境が自分と全く一緒なら相対評価すれば良いんですが、別にそんなこともないはずなので、参考になるところはパクって、そうでないところは気にしなくて良い。

自分はよく、無限にコード書いてるとか、ショートスリーパーとかの特徴を持つ人の身体・精神両方の体力を羨ましいと思うことが多いですが、体質・過去の運動量・経験などが大きく影響するから自分の範囲内で頑張ろう、という考えにシフトするように意識しています。
生まれ育ちに嫉妬することも多々ありますが、できる範囲で頑張ろうと思わないと仕方ないのもわかっています。できる範囲で頑張りましょう。

自己肯定感の話

ja.wikipedia.org

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉である

自分の自己肯定感について

生まれ育ちによって影響されまくる感覚なので、 "こうしたら自己肯定感つくぜ!" とは言えないんですが...

もともと自分はそんなに自己肯定感はなかったんですが、年々仕事をしたり人と関わったりすることで「人に価値自体は別にない」とか「社会・会社に対してはそれなりに貢献ができる」とか「自分にとって"良い"と思えることをしたら嬉しい」とかを思った結果、
現時点では「自分が生きていること自体は周りに否定されるつもりもない」という考えになっています。
それなりに自己肯定感がありそうな雰囲気がしますね。

何が嬉しいとか悲しいとかの感覚は人によって様々なのでこれを読んでくれている方の考えは分かりませんが、自分の思想はそこそこわかるので、それに正直ではいようかな、とは思いながら生きていて、それが上の話に繋がったのかなと。
思想はある程度筋は通っていつつ、矛盾は誰にでもあるので、それも理解して落とし込んだ上で それが自分ですね... と思えるようになったので、特に困ってない、というのが今の状態です。昔(去年の前半ぐらいまで)はよく「この物事はこう思うのに、こっちの物事には違うことを思うのよな...」て悩んでいたんですが、思ったことは事実なので、そういうもんだと思うようになりました。

自己評価はちょい高いぐらいが良い

できる・できそうなこと を できない と答えるのは嘘を言っているのでは

「自分なんて...」と周りに言って特になることはほとんどなくて、可能なら多少高く見せても嘘でなければ良いと考えています。

自己効力感の話で多少出しましたが、何も成し遂げられていない・何も知らない人なんていないはずで、
例えば今この文章が読めているとか、多少なり金を稼いでいるとか、学校で・自分で何かを学んできているとか、xxの仕事ができたとか、
そういう「できた」ことの積み重ねを話す分には、「できなかった」と嘘をつく必要はないはずです。
(本当に全く経験がない・想像のつかない分野の話であれば「何もわからん」と言えば良いんですが)

できそうなら「できそう」と言えば良いです。できそうだったけどできなかったら、「できない」じゃなくて「できそうだけどできなかった」です。

ポジティブ思考・失敗を許容する

できそうだけど失敗した時に、失敗したという事実はありつつ、"やって失敗した" という事実もあり、"やった" ことを評価する、という頭に可能な限りできると気持ちが楽です。
恥ずかしいとかはもちろんありますが、やってないよりはやったほうがマシかなあ、と思って過ごそうと心がけています。

この考えになったのは結構最近で、元々はもうちょっと怖がりだったんですが、何でこうなったかはよくわからない...ので説明できないのですが...
(これまでの経験を認めてあげるとか、頑張ったことを思い出してみるとか、そういうのを繰り返した結果 今これぐらいできる・できそう の能力評価ができて、それがあるからできなかった時に「精度が上がった」と思えるようになったからかな...?と考えていますが、まだしっくりきてないです

これがいわゆるポジティブ思考と呼ばれるやつなのかなあと思っています。

おわり

こんな感じの頭で過ごしています。年々こういう考え方になっていった結果、最近はそれなりに楽しく過ごせているので、こうなって良かったんじゃないかなと思っています。
最近後悔することは酒の飲み過ぎぐらいで、仕事関連は本当にきつい状態になっても反骨精神みたいなのが出て、きついのはきついですが何とかできてます。何とかできてなくても、できてそうな雰囲気になっているだけかもしれません。できていると思っているので、できると言います。

あと、ここに書いた話は気の持ち様でしかなくて、本当に動けないとか、絶対にやりたくないとか、生活できないとか、社会に馴染めないとかであれば、脳の炎症だったり化学的な異常状態だったり、哲学的な問題な気がするので、然るべき所にいってほしいです。自分の気持ちだけではどうしようもないことも世の中には多々あります。

(今回意図的に書きませんでしたが、生死に関わる思想は少し一般から離れているはずなので、それはそのうちどっかに書くかもしれない)

全然まとまってないけど終わりです。
家で余っている酒を飲んで勢いで書いているので、明日の朝読んで消したくなったら非公開にするかもしれません。